とむこはいつものように郵便ポストから雑多な封筒を取り出す。
店には様々なダイレクトメールが送られてくる。新商品の案内だったり投資の勧誘だったり節税の話だったり。大抵は人の懐からお金を掠め取りたい詐欺の案内だ。そういう紙束から必要な書類だけ抜き取ってダイレクトメールは開封せずに捨てる、という生産性のない仕事を定期的にしなければいけない。
ビニールで包装された本のように分厚いカタログ類は分別しなくてはいけないので一度開封する。ダイレクトメールを禁止するだけで、どれだけの環境保護に役立つのか考えると頭がくらくらしてくる。無駄に印刷され無駄に輸送され、一瞥もされずゴミ箱に放り込まれる元は植物だったものたち。世の中に無駄はいくつもあるけれど、ダイレクトメールほど無駄なものはないとつくづく思う
中には「どういう思考でこんな名前の物を送りつけてくるのか」というものもある。「優越感具現化カタログ」なんて嘘みたいな名前のカタログが本当にあるのだ。大手出版社が作るヘドの塊の様な雑誌名は記憶にはよく残る。ま、記憶に残るだけでも彼らの勝ちなのだろう
ある日から「成功者の夢の本」というカタログも届くようになった。「優越感具現化カタログ」の二番煎じ。パラパラとめくったことがあるが高いワインや時計を買えってことらしい。「そんなものを買う金なんて持ってないし、持っていたらこんな怪しいカタログから買うこともねーよ」と毒づいてゴミ箱に放り込む
そんな定期的な「成功者の夢の本」を定期的に捨てる事数回、「懲りもせずよく送ってくる」と思いながらゴミ箱に放り込もうとしたときにコピー用紙のようなA4の紙が滑り落ちた。冊子の派手さと裏腹に簡素な紙がとむこの目を引く
タイトルには「35年前に消えてしまった富向日曽温泉を成功したあなたの為だけにご用意します。」と書かれていた。
富向日曽温泉という文字を見てとむこは顔を歪めた
と・む・こ・う・そ・お・ん・せ・ん
なんでこんな温泉を今頃目にしなければいけない?もう誰の記憶にも残っていないような所なのに。
その読みにくい名前の温泉は35年前、最後の旅館が廃業したことで幻の温泉地となった。そして今はもう山の裾野に埋もれているはずだ。どこかの物好きが再開発でもしたのだろうか?良いお湯ではあったが、あまりに不便な土地だったので今更誰かが目をつける場所とも思えない。
そのチラシを眺めている時、電話がなった。
とmこが出る「小林ですがとむこさんいらっしゃいますか?」
とmこはよく確認せずにとむこに電話を回す。どこの小林さんだろう?ありふれた名字はこういう時に困るなと思いながら電話の子機を手に取る
「とむこです」
「成功者の夢の本の小林と申します。はじめまして」
やはり知人を装った営業の電話だったか。巧妙な電話をしてくるのは仕方ないにしても営業を見抜けなかった事についてあとで怒らなければと考えつつ電話口の小林に話す
「営業なら必要ないので」取り付く暇もなくとむこは電話を切ろうとした。
「富向日曽温泉」と小林がボソリと呟いた
あぁ、これは営業の電話ではないのだ。とむこはこれから訪れるであろうトラブルの黒い霧に自分が包まれるのを感じる
「とむこさん。もうチラシはご覧になられました?」
小林は僕の返事を待つことなく言葉を続ける
「あなた『とむこの悪口帳』というブログを書いているでしょう。今回はその件についてお電話差し上げました。」
「好き勝手書いて、恨みを買ってないなんて都合の良い勘違いはしてないですよね。もちろん買ってます。身元を隠して強い言葉で粋がっても、最後は生身のあなたにすべて帰ってくるんです。今、あなたは恨みを買った人たちから、いつ刺されてもおかしくない状況なんです。それをこの小林がすんでの所で止めてあげているのです」
とむこは電話を強く握りしめ、自分の置かれている状況を確認しようとする。
「小林さん、あなたの要件は一体何なのですか?これは新手のタカリと認識して構いませんか?」
「まぁ落ち着いて下さい。私はあなたの味方なんです。まずそれをわかって下さい。」と小林は自分の誠実さをアピールするように、ゆっくりと優雅にとむこに語りかけた。彼が指先でテーブルを一定のリズムで叩く音が電話越しに聞こえる
「あなたがこんなブログを始めてしまったのも、富向日曽温泉の一件が原因なのか…それとも叔父と同じ血筋だからなのか…」
『叔父』という言葉を聞いて、とむこはもう逃げられないと悟った。この男は色んなことを知っいる
富向日曽温泉は4件の宿が寄り添うように建っていて温泉街と呼べるようなものはなかった。冬の間することもない農家や温泉好きな物好きが通う程度の知名度しかなかった。そして時代に取り残され寂れていき、歯が抜け落ちるように1件、1件と廃業していった。最後に残った温泉宿はとむこの叔父が経営していた。宿と言っても民家とさほど変わらない慎ましいものだったが。
叔父はとても物腰が柔らかくて宿泊客から愛されていた。温泉そのものよりも叔父に会うため遠方から客は訪れた。人里から離れた場所だったので配偶者には恵まれなかったが、彼は良い宿泊者に囲まれ孤独もなく穏やかな毎日を送っていた。
とむこにとっても叔父の経営している宿は特別で、両親に連れて行ってもらえるのを楽しみにしていた。多くても年に3回しか行けなかったが、宿の雰囲気は今でも鮮明に思い出せる。とむこにとっては、叔父の宿こそが理想の場所だった。
そんな小さくて居心地の良い温泉宿は、叔父の失踪という結末で幕を閉じた。ある日突然、彼は消えてしまった。予約した宿泊客が訪れた時も叔父が居ないだけで特に変わった様子もなかった。
山奥の宿だったので遭難の可能性もあり、周囲の捜索も行われた。警察も宿を調べたが、失踪を匂わすようなものは見つからなかった。ただ、彼の部屋からホルマリン漬けにされた子供の左足が出てきたことで世間に注目され、3週間ほど猟奇的な事件としてワイドショーにも取り上げられた。
叔父の足取りは今も不明のままだ。
とむこは小林の言う「叔父の血筋」という発言がとても気にかかった。とむこにとって叔父は心優しく欠点と呼べるようなものはなかった。とむこの持つ粗暴さとは対極にいるような人だ。でも彼の言う「血筋」という言葉には「同族」という意味をはらんでいた。
/>「あなたは叔父を知っているのか?」
「わたくし小林はあなたの叔父と唯一の親友といっても過言ではありません。つい先日も楽しい時間を過ごしたばかりですよ」
「叔父は失踪してから手がかりは一切見つかっていない。生きていてももう80歳を超えているはずだ。あなたとは年齢も離れすぎている」
「あなたの疑問は私に従っていれば、徐々に分かってくるでしょう。それよりも本題に戻りましょうか?」
「じつはですね、とむこさん。いつもは宿泊者であるあなたが、今回は宿主になって今まで宿泊した宿主たちを迎えていただこうと思います。場所は富向日曽温泉の叔父が経営されていた宿です。もちろん今は跡形もありません。しかしながらこの小林が尽力のうえ再現して差し上げます。ここまではよろしいですか?」
にわかには信じられないが、彼の口調には人を騙すような様子はなかった。既に決まっていることを淡々と伝えているだけだった
「そこで何をするかですが…うん、この先はとむこさんの気持ちの整理がついてから実際にお会いしてお話させて頂いた方がよいでしょう。あまりに唐突すぎますものね」
5秒ほどの無音が続いた後、小林は続けた
「実は私、既にあなたのご自宅にお邪魔しています。あなたがいつも座っている座卓、とても座り心地が良いですね。猫ちゃんも人を怖がらずになつこくて可愛らしい。今も私の膝の上にいるんですよ」
とむこは恐怖とも怒りとも分からない感情に包まれた。
「とmこ!店を閉めて何があっても外に出るな!」
とむこは言い放つと、アイアンマンスーツを着込んで愛車のカブに跨ったのだ!!
※エイプリルフール企画、楽しんで頂けましたか?
コメント
駄文に付き合ってくれてありがとう。
温泉地の名前を漢字にするのに一番時間を使いました
タイトルの時点でエイプリルフールと気づいた猛者は…いませんか?